ゆるくてピリッとしたお寺、泉涌寺

京都国立博物館や智積院を過ぎて、東大路もここまでくると地元の人たちの街、といった感じの今熊野商店街の中ほどから裏山へと坂道を登っていくと大きな門がある。

泉涌寺の総門。またぐと泉涌寺の山内。

きれいに整備された参道を進むと、塔頭寺院や幼稚園、市立の小・中学校がある。(市立!どういう経緯なんだろうか)

そして、登りきった先に泉涌寺の山門、ここからが中心伽藍。

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 せり出した木々の合間に隠れて禅宗様の仏殿が見える。

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近づくにつれて視界が開けていく。まっすぐ建物が並ぶ宋風の伽藍に、この隠してから見せる、っていうアプローチがおもしろい。これが本場中国なら山肌を直線に整地しそうだし、こういうのてきとうに「日本的」とか言えそう!

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仏殿の内部は天井が高くて気持ちいい。禅宗様って、大きすぎると上昇感を感じにくくなるので、ここのはちょうど良い大きさだと思う。

 

泉涌寺は鎌倉で一番大きい建長寺と同じくらいの規模感なんだけど、平日だからかほんっとに人がいない。山内ですれ違ったのは若い聾唖の外国人3人(自転車で上まであがってきた。すごい!けど中に入らず帰って行った)と、おばさんが数人。

遠くの方から、ピンポンパーンっていう学校の校内放送がゆるく流れてくる。他は木々がサワサワ触れあう音。あの京都中心部の人混みから考えると、こんな空間あっていいんだろうか、と不思議な気分になる。

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御座所(1818年) 京都御所より明治時代に移築

部屋の中には今上天皇がお墓参りにきた時の写真がある。そう、泉涌寺は皇室の菩提寺なのだ。この御座所も天皇陛下が休憩するための部屋。今は自分しかいないけど。

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この庭の扉は天皇家の陵墓、月輪陵(つきのわのみささぎ)につながっている。天皇=神道のイメージが強いけど、江戸時代は仏式の葬式をおこなっていたようで、25基の仏塔が並んでいる。

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月輪陵へ。

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天皇陵コンプを目指している人にとってはたぶん小躍りしたくなるような場所だ!

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面白いことに、明治天皇の前の天皇・孝明天皇のお墓は、月輪陵ではなくその裏山に、古式を模して築かれている。古式とは前方後円墳ではなく桓武天皇あたりと同じ円丘のこと。11歳で即位して、1867年、大政奉還を間近に35歳で亡くなったそうだ。この人の幕末は、どんな幕末だったんだろうか。

 

さて、実際に天皇陵を前にすると、必ず横には宮内庁の「神聖にて侵すべからじ」的な立て札があって、史跡じゃなく誰かの私的空間に入り込んだような、そこはかとないよそ者感がある。まあ、赤の他人のお墓なので当たり前っちゃ当たり前だけど。

この宮内庁なる空気感と、中学校の校内放送。それらが重なり合う不思議空間・泉涌寺。

行きとは別の道を下っていく。

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無人の塔頭寺院もよく整備されている。(この裏に重森三玲のちっちゃな石庭がある)

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塔頭のひとつ、新那智山今熊野観音寺

今熊野観音寺は西国三十三観音の1つで、ということは泉涌寺よりもおそらく古いお寺。本堂では受付のおじさん達が歓談していて、目の前を通る時に声をかけられ御朱印を買わされないかと、そそくさと出てきたけど、ただの被害妄想でほっとかれる感じだった。まあそうだよね。

 

七条通まで下りてきて、たまたま駐輪場の隣にあったアマゾンという喫茶店へ入った。1階はカウンター形式の懐かしい感じのお店で、奥に食品用エレベーターがあってテンション上がった。レトロでなんか好き。一方でメニューはパニーニがあったり新しく変化もしている感じ。アイスコーヒーとサンドイッチを食べた。

tabelog.com

 

その後は高台寺へいく。