リブート作『ロボコップ』(2014)はどこが「期待外れ」だったのか

ロボコップ (字幕版)

おすぎ以来と称揚される映画評論家の宇多丸という人が、このリブートロボコップの監督ジョゼ・パジーリャを「エンターテイメント性との両立ができる超硬派社会派作家」で、「こんなロボコップにうってつけの人材います?っていう」「ロボコップの精神性をばっちり受け継いでいる」と評していた。

この作品、クオリティの割にどうも失敗作扱いされがちなので、それに対して上方修正しようという意気込みがあるんだと思う。けど個人的な意見としては、リブートロボコップが「期待外れ」だったのはまさにこの「社会派」なところだと思う。

社会派ってマジメなのだ。

社会派=マジメ。

一方でポール・バーホーベンのオリジナルロボコップは不真面目だ。社会を描いているけど。これは大きな違いだと思う。

惚れ惚れするような不真面目。センスの良い悪趣味。

何を考えているのかわからんクラスの変態っぽい窓際高校生にベタでダサダサな学園祭の出し物の演出を押しつけたら、誰も予想してなかったようなかっこいいものができて、学校中がどよめく。それがオリジナルだとすると、リブートは勉強のできる社会派大学生が熱心に作って、文化祭で上映してるけどあんまり客が入ってこないような感じ。

 

じゃあつまんないかというと普通に面白いし、特に前半はオリジナルにガンガンオマージュしながら、単なる焼き直しでなく現代に再構成してて凄い…ってなってたし、酷評されてると「いやいや面白いよ」と言いたくなるけど、じゃあロボコップの正統進化なのかというと「うーん…」ってなる、なんとも据わりの悪い映画なのでした。