ずんだ餅。
みずみずしい緑と、柔らかな白。
その誰をも傷つけぬ優しい見た目とは裏腹な、妙に爆発感のあるネーミング。
そこになんだか無視できぬものを感じていた。
これはあくまで自分の中のイメージだが、「ずんだ餅」という言葉を聞くと、陸上短距離走を思い浮かべる。
どういうことか。
「ずん」で大地を踏みしめクラウチング、「だっ!」と走りだそうとする…のだがその瞬間目の前に巨大な餅が表れ、「っ」までいけずにぶつかり運動エネルギーを吸収される。僕はずんだ餅という短い言葉の隙間に、走り出せなかった悲哀のようなものを感じる。
訳のわからぬ話はここまでにして、時は2018年の夏休み、大学時代の友人の転勤先である仙台へ4泊5日で遊びに行ってきた。
学生時代の友人というものは、大人になっても当時の関係性に引っ張られるもので、旅はいつの間にか「ずんだ」と向き合う5日間となっていた。
「なぜずんだなのか?」という疑問はひとまず置いて欲しい。そこには確かな熱狂があったから。
夜遅く、新幹線で仙台駅へつき友人と合流。とりあえず仙台らしい物を食べさせてやると連れられ繁華街へ。白ホルモンと盛岡冷麺を食べた。しょっぱくて美味しかった。
深夜12時を過ぎた頃、お腹いっぱいで友人宅へ帰る途中でセブンイレブンに寄った。仙台のセブンにはずんだがある!という友人の主張。
ほらあっただろう!からの買う流れに。1日目の深夜、こうして記念すべき1ずんだ目を食べることとなった。
1ずんだ目…セブンイレブンの「ずんだ餡とクリームのもっちりロール」
ずんだ餅の味がわからぬままに、まずは変化球のロールケーキを食べたのだが、あんこに比べるともったり優しい味がする。クリームのミルク感が強く、ずんだ餡そのものの風味は控えめだった。ずんだの味というよりも、むしろあんこの味を再認識した出発点だった。
2日目
さて、次の日から本格的な旅の始まりだ。朝から友人が車を出してくれ、とりあえず仙台市内を観光しようという話に。仙台で人気のパン屋があると聞き、朝食を買いに向かう。
「ライスブレッドファクトリーモナモナ」というお店。その名の通り、米粉パンの専門店。クロワッサンまであってびっくり。どれもモチモチして美味しかった。
そしてここの看板メニューは…
2ずんだ目…ライスブレッドファクトリーモナモナのずんだコッペ(160円)
一口食べてみると、米粉のもっちり感とずんだの優しい甘み、ふわっと溶けていくホイップが同時に舌を刺激する。初めて食べる組み合わせなのに、これだ!と頷くおいしさ。勢い余って3口くらいで食べ切ってしまった。このお店が家の近くにある友人が本気でうらやましくなった。
実はこのパン屋の向かいに雰囲気のいい和菓子屋がある。
大正10年創業の「つぼや商店」の支店。建物も戦前のものらしく、レトロな木製のショーウィンドウの中には沢山の和菓子が並べられていた。
3ずんだ目…つぼや商店のづんだ餅
ここで初めて本格的なずんだ餅を食べる。まず、ずんだ餡の主役っぷりに驚く。つぶつぶ感がすごい。みずみずしく、プチプチしてて、はじけた先に甘さと風味がある。名は体を表す。「ずんだ」は確かにはじけていた。これ、あんこよりずっと美味しいじゃん!と思った。
本格的にずんだにハマっていくきっかけとなる。
その後、陸奥国分寺跡や、
仙台東照宮に行った後、この日のハイライトとなるエンドー餅店へ。
エンド-餅店。
他の都市ではこの黄緑が何を象徴しているか分からぬかもしれないが、ここ仙台では火を見るより明らかだ。
入り口から期待は高まる。
ちなみに「づんだ」派と、「ずんだ」派がいるようで、どちらが間違いということはない。全国区なのは「ず」だと思うが、老舗は「づ」が多かった。つまり歴史上どこかのタイミングで「づ」が「ず」に変化したということだろうか。余談だが、「ず」と「づ」は元々別の発音だったのに、江戸時代以降同音になったという経緯があるらしい。そこらへんの音韻論的な話も絡めて深掘りすると面白いかもしれない。
4ずんだ目…エンド-餅店のづんだ餅(1個145円)
一口食べた瞬間、あっ!と心の声が出た。できるだけ言語化してみたい。口に入れるとふわっと香りが鼻へと抜けていった。みずみずしい新緑そのものを食べ物にしたら、こんな感じになるんじゃないか。餅がずんだを運び、香りと甘みを口の中でふくらませる。これが世に言う「香り高い」ということなんだと思った。そのおいしさには、ちょっとした驚きがあったのだ。
とまあ、ここまでずんだ餅に魅了されていたが、やっぱりと言うべきか、しょっぱいものが無性に食べたくなってきた。甘さ控えめのずんだに罪はないけど、糖分は舌に累積されていく。塩分を求めてセブンイレブンへ。が、また見つけてしまった。
このあたりから、友人によって「ずんだを見つけたら買わないといけない」というルールが課される。
5ずんだ目…セブンイレブンの「ずんだ餡とクリームのもっちり包み団子」
甘いものが食べたい時に食べると、しっかり美味しい味だと思った。
その後はちゃんと観光も。
気づけば夜8時を過ぎていた。
もう1日も終わりかな、と思った。しかし2人旅はこういう時ムダに柔軟性が高い。1人だと冒険しないし、3人だと誰かがブレーキ役に回るのだが、2人だと勢いさえあれば突き進んでしまう。
まだ間に合うぞ!と謎の使命感に駆られ、車を飛ばしザ・モール仙台へ。
なんとか間に合った。
避けては通れない道。
6ずんだ目…ずんだ茶寮のずんだシェイクだ。
この日最後のずんだである。
もっとジャンキーなものを想像していたが、ソフトクリームとずんだ餡を混ぜたらこんな色になるだろうな、という自然な色味が素敵だ。味もまさにその味。ずんだとバニラはとっても合うのだ。あんこシェイクが一般的でないことを考えると、ずんだの汎用性は意外に高いのではないか、と思った。
こうして最後の悪あがきも成功し、無事ずんだまみれの1日が終わった。
3日目
近年稀に見る快腸だった。ずんだは健康にも良いようだ。
朝ごはんを食べようと思い、実は昨日の夜に買ったずんだを取り出す。
7ずんだ目…喜久水庵のひとくちずんだ餅
8ずんだ目…喜久水庵の千日餅(ずんだ)
味はもちろん美味しい。ちょうどよい甘み、ずんだの風味。そこに誠実さがある。
ただ、作りたてのフレッシュさという、ずんだ餅の肝を前日に知ってしまったので、その意味ではパックされたお菓子は不利だなと思った。
千日餅はどら焼きというより京都の阿闍梨餅みたいな感じと言えば、関西の人には伝わるだろうか。
3日目は山形へ行こうという話になった。仙台市と山形市は通勤する人もいるようで、車で1時間~1時間半と意外に近い。有名な山寺(立石寺)に行きたいという理由もあったが、そろそろずんだ以外にも目を向けたいという下心もあった。
山合いを車で走り続ける。
だんだんと気持ちに余裕がでてきて、助手席で「ずんだずんだ〜♩」とブルーハーツを歌っていた。
途中、「関山大滝」という標識があったので寄ってみる。
ちょっとした観光地らしく、売店兼お食事処がある。
東北以外の日本人が一生かかっても食べきれないだろう、大量のずんだがそこにあった。本来ならその位置にはあんこがあるはずなのに、どこにも見当たらず。エキゾチック。これぞ旅情ではないだろうか。
もともとトイレ利用のために寄ったのだが、店員の女性に「トイレだけはダメだよ!」と言われる。
それならばと、勢いと財力でどんどん追加していく友人。こんな時、もう大学生ではないのだということに、頼もしさとともになぜか一抹の寂しさを感じる。
そして眼下には雄大な滝が。
9ずんだ目…泉やのずんだ団子とエトセトラ
どれも旅先で食べるおいしさがあって、景色を含めてこれはもう言うことなしだ。良い気分だった。
滝の方へ降りていく。
語るまでもなく綺麗な場所だった。
山があれば、渓谷がある。渓谷があれば、滝がある。仙台と山形の間には、このような大小様々な滝が存在しているようだ。杜の都の面目躍如といえる。
残念ながら、この日のずんだはここで終わりだ。山形もずんだ文化圏のようだが…たまたま目に入らなかった。
しっかりも観光した。山形市は県庁所在地としては珍しい非戦災都市で、ところどころに古いものが残っている。戦前の都市計画が現代に生きていて、街全体の雰囲気が良かった。
日が暮れかかった頃、車に乗り再び仙台へ。
帰りの車中では、「もしも〜僕が〜♩」すらすべて「ずんだ〜ずんだ〜♩」に変貌していた。免許取得以来無事故無運転の自分は車中盛り上げ役にしかなれないのだった。
仙台へ戻り、夕飯は友人の勧める韓国風焼き肉屋に入る。
店員さんを呼び止め、「ずんだサイダーはありますか?」と聞いた。店員さんは奥で店主らしき人と二三話した後戻ってきて、「ずんだサイダーは売り切れです」と言った。
長い1日が終わった。
4日目
初めての松島へ。日本三景だ。仙台市民からすると、県外から来た人をとりあえずどこかに連れて行く場合、決まって松島になるそうだ。
仙台から松島までは車で1時間弱。この日は特に暑い日だった。
だいぶ海のそばまでやってきた。カネコというかまぼこの直売店に入る。
10ずんだ目…ずんだキャラメル
記念すべき10ずんだ目がキャラメルになるとは思わなかったが、ずんだの可能性を知るには良い選択肢かもしれない。
味も色も優しかった。目隠しされたら、甘くて美味しいキャラメルだなあと思い、ずんだ味だとは気づかないかもしれない。けしてキワモノではない、オーソドックスな味だ。フレーバーとしてメジャー路線を目指すなら、これぐらいがちょうど良いんだと思う。
松島へ着いた。実はこの日はお盆真っ只中。すごい人出だった。しかし松島にはそれを抱擁するだけのスケール感があった。
遊覧船に乗ることにした。この選択は大正解だった。
出発までの間、少し時間があったので近くの売店による。
11ずんだ目…遊覧船乗り場近くの売店のずんだもちサンデー
ソフトクリームの味は選べる。少し照れながら「ずんサンずんだソフトでお願いします!」と言った。店員の女性は笑顔で「はーいずんサンずんだソフト!」と受け止めてくれた。
さて、そのお味だが、ずんだソフト・ずんだ餡・餅・コーンフレークと思った以上にずんだ要素が強い。夏の暑い最中に食べるにはよいずんだだった。
そうこうしてる間に遊覧船で出発。
日本三景・松島。
どうせ交通手段の未発達だった大昔のベスト3でしょ…とタカをくくってたのだが、ブオオとかっ飛ばす遊覧船で見る松島はダイナミックで素晴らしかった。この旅のベストオブ観光地かも。
数十分の乗船時間だったが、興奮しっぱなしだった。
もちろん瑞巌寺にも行った。
すっかり観光気分を満喫し、もう夕飯の時間に。
松島町や隣の塩竃といえば美味しい寿司だろうと、車で目当ての寿司屋に向かったが、お盆で休みだった。
まあ仕方ないなと仙台方面へ戻り、「杜の市場」という仙台の飲食店が多数入る商業施設へ。
新鮮なお寿司などを食べた後、見つけてしまった。
ずんだおはぎである。
12ずんだ目…もち処木乃幡のずんだおはぎ
味はずんだ餡のおはぎ。おはぎは餡よりも餅米のつぶつぶ感を楽しむものだと思った。
ずんだ以外は友人に積極的に分けてあげた。
5日目
長かった夏休みの仙台旅行も、ついに最終日。夕方に帰りの新幹線を予約している。今日は遠出せず、2日目に回りきれなかった仙台名所を巡ろうという話になった。
前日買った13ずんだ目…明治製菓のきのこの山“ずんだ風味”
味見だけしてあとはお土産にしようかと思ったけど、お菓子としておいしく自分で食べ切ってしまった。ずんだジャンキー。
ずんだ餅ばかり食べると、ずんだ色の存在に気づく。世の中には、確かにずんだ色が存在している。最終日にはさらに感覚が研ぎ澄まされ、あの木の葉っぱはちょっと違うとか、あのレベルの緑を認めると世の中ずんだだらけになってしまう!とか、友人と盛り上がっていた。
そんなテンションで臨んだのが創業170年、ずんだの最古参たる村上屋餅店だ。
14ずんだ目…村上屋餅店の湯あがり娘づんだ餅(3ケ700円税別)
この旅でもっとも高級なずんだ餅。
クリーム状のずんだ餡と柔らかい丸餅は、湯あがり娘という名に恥じぬみずみずしさ。これまでで最高に柔らかく、最高に香った。
…うまく形容できてるだろうか。
新緑の木漏れ日の中に湯あがり娘がたたずんでいる、そんな雑なイメージが思い浮かんだ。
まあとにかく、3個700円は伊達ではなかった。
今のが朝食だったなら、間髪入れずに次が昼食となる。
都心の大通りにぽつんと佇むこの外観。だんご屋兼町の食堂といった風の藤や。
中も期待通り。
番外…藤やの冷やし中華(600円)
どうしてもこの冷やし中華の話をさせて欲しい。30年近く生きてきて、初めて食べたこの味が冷やし中華の「普通」なのだと納得した。美味しい、とともに良い味だった。なんというのか、それは良い味だった。毎日でも食べられそうだった。ちなみに仙台は冷やし中華発祥の地を謳っている。
15ずんだ目…藤屋のずんだ餅
食後のちょっとしたデザートとしてのずんだ餅。値段は書いてなかったけど、200円はしなかった気がする。
今までにないタイプのずんだ餅。こんなずんだ餅もあるのか、と思った。水飴っぽいしっかりした甘みが懐かしい。ずんだは本当に仙台に根付いた和菓子なんだなあと思った。
次は観光としてせんだいメディアテークへ。柱が支えないユニークな構造で、建築として世界的に有名だ。
素人には構造はよくわからないけど、かっこいい。
階段の意識も高い。
しかし、自分の目が反応するのはずんだ色だった。
この日利用した仙台コミュニティサイクル「DATEBIKE」は、ずんだ目を癒やす補色の赤。
メディアテークを出て、自転車で仙台一の繁華街である国分町(こくぶんちょう)へ。1日目の夜に通った時は歌舞伎町みたいな怖いところだと思ったが、昼間は案外すっきりしてる。
ここでもずんだを探す。
16ずんだ目…玉澤総本店のずんだあん・さぶれ
仙台にはいくつもの店舗を構える玉澤総本店。最終日でやっと訪問できた。
さまざまなずんだを売り出しているが、ここでは洋菓子との接点を探るためにサブレを選択した。
バターの風味が効いたしっとりとした生地感。牛乳とはとてもよく合うずんだだが、その控えな性格からか、押しの強いバターには少し負けてしまうかな、と感じた。ふつうに美味しい洋菓子。
そうこうしている間に、長かった仙台旅行も終わりの時間が近づいてきた。
旅の最後に、ここに来なきゃ仙台に来たとは言えない場所へ。
青葉城。仙台市街を一望できる場所だ。たった5日間とはいえ、ここで数多くのずんだを食べ、暮らした。感慨深かった。
この風景が美しいのは、そのどこかに…ってやつだ。
仙台駅の方へ戻り、そろそろお別れの時間がきた。
仙台にも、ずんだにも、友人にも名残惜しさはあったが、お盆の時期に予約した新幹線の時間は変えられない。
友人に感謝の意を伝え、握手をし、新幹線に乗る。新幹線はいつものアナウンスとともに発車した。
…まだ旅は終わっていない。ずんださぶれと共に買った羊羹だ。東北を抜ける前に食べなきゃと思った。…が、スプーンがないことに気づきあっさり断念。
結局、東京の自分の家に戻ってから食べた。
17ずんだ目…玉澤総本店のずんだ羹
東北を離れて食べたずんだ。
ふるふるして水羊羹に近い仕上がり。口に入れると風味豊かに溶けていく。上品な味。美味しかった。美味しかったけど…
これってようするに枝豆味だな、と思った。
そう、ずんだとは枝豆だ。あの、居酒屋でも真っ先にだされる枝豆だ。
家で食べるずんだは、そんな生活感と共にあった。
関東の土を踏んだ時、ずんだの魔法はもう解けていたのかもしれない。
p.s.その後、友人は東京へ転勤となり、自分と仙台との縁もなくなった。新幹線で大宮の次とはいえ、気軽に行くにはなかなか遠い場所だ。そして、歳をとるとだんだん友人との関係性も変わるだろう。
最初で最後のずんだ旅。
おそらくそうなるんだろう。
しかしまだ見ぬずんだはある。
いつの日か、また魔法にかけてくれ。