(※念のため、3月中旬の話です)
ここは文京区白山。電車で30分以上かけ、散歩しにやってきた。古い花街の名残があると知ったことがきっかけだ。
花街といえば芸と欲の交差点…日々地味に生きている自分には別世界に感じてしまうが、「古い」と「名残」という言葉が付くだけでその生々しさは退色し魅力的な響きとなる。人の営みは移ろい行き、後には木造の建物や石畳が残る。目まぐるしく変化する東京だから珍重される、そんなちょっとした古いものを愛でたいのだ。
観光と呼ぶほどではないので散歩。
そこそこの期待感を持って、ちょっとした古い町並みを訪ねると、ちょうどよく満足できる。これはそんな散歩の記事だ。
白山は初めて降りる街だ。電車で来たことを降りると表現してみたが、実際は地下鉄なので登っている。そして地上へ出るとそこは坂の街だった。初めて登る街、白山。
まず駅の周りを見渡してみる。
散歩ではちょっとした高低差がアトラクションだ。昔の地形を想像できるし、視点の変化が面白くて先へ先へと足が進んでいく。
さて、今回はその気になればいつでも来れる場所。「花街を目指すこと」をゆるい目標にして、詳しく場所を調べず自分の感覚を頼りに古いものを探してみよう。
散歩ならではの余白が楽しめたらいいなと思う。
早速気になるものが向こうに。駅の西側は軽いV字の谷間になっており、その奥に立派な石鳥居がある。駅前に大きな神社。古くから栄えた街の典型だ。行ってみよう。
1. 町名の由来、白山神社
白山神社。
元々は石川県と岐阜県にまたがる霊峰・白山を信仰する神社である。坂の街にはぴったりの神社だけど、ここは白山から300km離れた東京。山は持って来れないので、実際には菊理媛神(ククリヒメノカミ)という神様に擬神化されて祀られている。日本書紀にワンシーンだけ登場する、謎めいた(解釈によっては如何様にもなる便利な)神様だ。
簡単に紹介すると、日本列島を生んだイザナギとイザナミの最後の別れの時、黄泉の国で二人が話すシーンで唐突にククリヒメノカミは出てくる。そして、"何か"をイザナギに話し、イザナギはそれを褒めて去っていく…という神。
謎が多いのか少ないのか、とにかくこれ以上の記述がない。白山の神と同一視されるようになった経緯も不明なのだが、今はイザナギとイザナミを仲裁したという(ややアクロバティックな)解釈により縁結びの神様として祀られている。
スケジュールありきの観光と違い、散歩は心に余裕がある。普段は通り過ぎるだけの石柱にも注目してみよう。この石、意外と古い!もう100年以上前から建っている。これ、「社標」と呼ぶらしい。
何にでもマニアはいるものだが、調べた限り社標マニアはまだネット上には見当たらない。自己主張せず情報を伝えるという役目に徹して100年佇んできた社標。かっこいいんじゃないか。プロ意識を感じる。今後は他の神社でも注目してみたい。
一方こちらの三つ巴のマークはいい感じに錆び付いていて、わかりやすく古い。いい感じというのは古い=良いという価値観が前提にあるのだが、ここまで錆びるのに実際は何年かかるんだろうか。5年10年で錆びるのなら、錆び=古い=良いという自分の中の等式を改めなきゃいけない。
社殿へ参拝する前に立派な銅板の由緒書きがある。事前に調べてないので読んでみよう。
内容としては、948年に加賀一ノ宮の白山神社から勧請された後、室町時代に足利尊氏が祈願し、江戸時代には徳川綱吉の崇敬を受けたというもの。
これ、東京の寺社としてはワンランク上の由緒だ!
東京でありがちなのは古代に作られた後、話が一気に江戸時代へ飛ぶパターン。田舎の小さな寺社が新興都市江戸の発展と共に大きくなったというストーリーだろうが、ちょっとだけ嘘くさく感じてしまうのが正直なところだ。だからその間に鎌倉や室町時代のエピソードが入るだけで古さの説得力が違ってくる。10世紀創建というのも無理してなくてリアルだと思う。
さて、やっと拝殿の前へ。
白山神社の拝殿は、たいへん神社らしい建物だったので、余計に後ろに巨大建造物が目立っていた。東京に高層ビルは珍しくないけど、神社って裏山が御神体だったりするので、お寺に比べて背景が意味深に思えてくるのだ。
そういえば似たようなシチュエーションが靖国神社にもあった。法政大の超高層ビル(ボアソナードタワー)が靖国神社の後ろに一本だけ高くそびえているのだ。あれは正直、見ていて緊張感があった。
拝殿の前の狛犬。1000年の歴史ある神社の彩色なので、これが正解なんだろうか。夜にビームを放って欲しい。
拝殿の横を通ると、神社の裏へ抜ける道がある。
土の上に少し傾いた石畳の一本道。いい雰囲気。何気ないけど、これも古くからあるものだろう。後述する花街の石畳にも似ているし、少なくとも戦前のものだと思う。バランスをとりながら歩くのが楽しい。
神社の裏は小さな児童公園になっていた。
桜も綺麗だったが、それより裏が公園になっているということは…
本殿が赤裸々に見える!
本殿とは中に神様が詰まった建物だが、隠す神もいれば見せる神もいる。白山信仰は山を御神体としているため、本殿もそれを模してやや高いところに作ってある。両脇に透かし彫りの彫刻があることからも、これは見せるための建築だ。多分ククリヒメノカミは目立ちたがり屋の神様なのだ。
児童公園を抜けると、本殿の隣に江戸時代に作られた富士塚も併設されていた。山と山。先ほど「山は持って来れない」と言ったが、山を持って来てしまうパターンもある。
富士山を模した小山を作り、その上に富士の溶岩を置く。本物へ行かずしてご利益に預かろうとするのがこの富士塚だ。昔はこの小山に登ると富士山がくっきりと見えたんだろう。
だが白山神社の隣に富士塚って、コンビニの隣に別チェーンのコンビニがあるみたいでちょっと面白い。
さらに渡り廊下の下を通れたり、
彫刻が見れたりと、楽しいギミックで満載だった。江戸時代以降、寺社は物見遊山の対象となったためサービス精神旺盛だ。この程々な感じ、古い遊園地の遊具みたいでかわいさがある。
なかなか楽しく時間を使ってしまったが、坂の上の神社に桜の咲く児童公園…目標の花街の雰囲気は感じられない。また駅の方へ戻ってみよう。
猥雑なものは坂の下に作られることが多いけど、下りた後に間違ってたら登る気力がない…という理由で坂の上へ。町名も白山上になる。
ゆるく商店街になっていたが、やはり違う。古そうな建物はここぐらい。
それより気になったのがこのお店。3等賞だったとしても買いに来やすい、いい名前だなあと思った。
白山上は明るい坂の上の町といった雰囲気だった。
また駅の方へ戻る。
2. 古い喫茶店の残る街
実は花街とは別に、もう一つ気になったものがある。喫茶店だ。冒頭に紹介した2軒も含めて、純喫茶と呼べそうな古い喫茶店が駅近に4、5軒はあるようだ。純喫茶好きなのだが、白山はノーマークだったため実は到着時から興奮していた。
花街ファンの方にはまだかと怒られそうだが、休憩がてらその一つに入ってみた。駅前のケニヤンという喫茶店だ。
古びた虫かごは喫茶店のインテリアとしては珍しく感じるが、秘密基地感を演出するための最適なアイテムだと思った。男性店主のお店だからか、店内の雰囲気によく似合っていた。
神社と喫茶店、ここまでで散歩としては大成功だ。
3. 本当にひっそりと残る花街の名残
居心地よくて長居してしまった。そろそろ本格的に花街の名残を探したい。もう午後3時過ぎ。
ここまでの道のりから、坂を下ることは確かだと思う。しかし駅からは離れていく。都営三田線は戦後に出来たので立地に関係ないとは思うが、ちょっと不安。
実際に坂道を下りてみたが、大通りが後楽園の方へずっと続いている。このままでは先が見えないので、スマホでヒントを得る。
坂ノ下の白山通りから一本東に入った商店街、どうもこの通りにあることがわかった。歩いてみよう。
どうだろうか、昭和の雰囲気はあるけど戦後っぽいかな…と思っていると、
商店街の隙間に、フッと横へ抜ける道がある。道が狭く谷間のような雰囲気の、通りと通りの間の住宅密集地帯。
ああここなのか。これは知らなければ見逃してしまう。
ある、ある。これは戦前だろう。
興奮しつつも周りは(もしかしたらここも)普通の民家なのだ。心の中で騒ぐ自分と諫める自分がせめぎ合う。両側からの生活の匂いが近い。他人の領域を脅かしているんじゃないかという、このひやっとする感じ、伝わるだろうか。自ずと気を張り、その場の雰囲気を読もうとしている。
ここが古い花街の名残。白山(旧指ヶ谷町)は、明治時代に白山三業地として警察の認可を受けた場所だ。三業とは待合、料理屋、置屋のこと。「料理屋」はその名の通りで、「待合」は関西でいうお茶屋のことで芸者と遊ぶお座敷、「置屋」は芸者を抱える芸能事務所のようなものということらしい。
もう一軒、立派な木造家屋がある。
高級料亭のような雰囲気だったが外見は妙にひっそりしている。もしかしたら民家かもしれないと思い中途半端な写真になった。が、後で調べると「花みち」という元待合の撮影スタジオだった。テレビの再現VTRなどで使われているらしい。民家の一角に、あまりに自然に溶け込んでいる。カメラを出すのがちょっと後ろめたい雰囲気だった。
実はもう一つ古い料亭の建物があるのだが、ネット上に残る写真と異なり和モダンな感じに改修されていたので撮らなかった。いくら文化財級の建物とはいえ、どなたかの家なのだ。
来るなら撮るか最初から来ない、どっちかにしろよと言われそうだが、この線引きは難しい。こうして実際の場所を訪れながらうだうだ考えるのが好きだったりする。白黒つかない、線引きの曖昧な物事を考え続けるのは、テトリスをエンドレスにやってるような感じかもしれない。
さて、あきらかに目につく古い建物は3つだけなのだが、古い花街の名残は足元にもある。
この一角だけアスファルトではなく石畳で覆われている。まさに名残り。その上の猥雑さはとうに消え、今は古き良き昭和の路地といった雰囲気だ。放課後には子供達が路地に出て遊んでそう。友達の家が遠かった郊外出身の自分から見ると、ちょっと憧れる密集感だ。
こっちの一本筋は、白山神社の石畳に似ている。昔は土の上に石畳が並んでいて、あとから舗装したんだろう。下駄の音が聞こえてきそう…と思ったが、下駄の音を生で聞いたことがないので、カランコロンという擬音を頭に浮かべる。
一角の中に一軒だけお店があった。スナック、喫茶店、お食事処…ご近所さんのニーズに合わせて長く切り盛りしているんだろうか。店内をちらと覗くと、年配のお客さんでいっぱいだった。店頭ポップには「お食事すべてコーヒー付き(アイスコーヒー+50円、生姜焼アイス割増なし)」と書かれている。850円のお食事の中で唯一900円の豚生姜焼き。その50円の気遣いに人情を感じる。
そろそろ路地を抜けよう。体感では長い時間を過ごした気がするが、そんなに時間は経っていない。濃い体験だ。
花街の名残を抜けると西日の眩しい通りに出た。帰りの駅までもう少しだ。
また喫茶店がある。白山には喫茶店文化が残っているんだ。京都なんかもそうだが、古くからある街は住宅街と商店街の境が曖昧だ。
花街の通りの裏手はまた丘になっており、丘の上は文京区西片という住所に変わる。東大や東洋大が近く、学者町と呼ばれた、いわゆる戦前の文化住宅が残る町だ。夏目漱石が一時期住んでいたこともあるらしい。坂を登るとまた雰囲気が変わるんだろうか。別の名残を探しにまた来てみたい。
こちらは1971年に出来たヴィンテージマンション。螺旋階段がシックでかっこいい。高低差を生かして坂の上にそびえている。
大通りに出て駅の方へ歩いていく。
向こうに宇宙船のような東京ドームが見える。非現実的だけど馴染みもある東京ドームは1988年の建築だ。新しいようでもう平成・昭和と2元号前。
だいぶ下まで降りてきたのに、帰りはまた地中へと吸い込まれていく。地下鉄は都市におけるセーブポイントみたいだ。コロナが収束するまでセーブしておこう。