はてなブログという名の不思議ちゃんを求めて

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「はてなブログをやっています。」

リアルでそう言う機会があるかどうかは別として、これはあきらかに不思議ちゃんの匂いがする。ブログサービスというのは沢山あって、ワードプレスは自営業のイメージがあるし、アメーバは余白の美を追究している。では、はてなブログはどうか。そもそも有名でなければ共有されたイメージもない。知らない人の脳内ではおそらく「?ブログ」と変換されるだろう。

僕は不思議ちゃんにはあまり出会ったことがない。だから僕の不思議ちゃん像は貧困である。まず、「ちゃん」がついているからどうしても女の子で想像してしまう。また、脳は気持ち良くなりたがるので、自然とその女の子は美少女に変換される。そして、その不思議さは愛らしさとなって僕の心に襲いかかる。

しかし現実は残酷だ。不思議ちゃんは不思議さんにはなれない。妙齢を迎える前に森へ帰っていくからだ。幼い時だけ人間界に存在できる。いつの間にかコリン星は爆発しているし、それは端的に言えばジェノサイドだ。元・不思議ちゃんに対峙したときは(巧妙にそれを隠すだろうが)、彼らがジェノサイドの過去を持っていることに注意しなければならない。

いや、不思議ちゃんに限らない。僕たちは誰でも、僕たち自身の手で何かを殺して大人になる。その痛みを知っている。痛みを知らずに大人になることはできない。子供の純粋さとは暴力だ。

子供の愛らしさや、望ましい子供らしさというものは、実は痛みを知る大人達が作り出した創作物かもしれない。もしムーミンも、スヌーピーも、ミッフィーも手渡さなかったら、彼らはやはりジェノサイドに熱中するだろう。蟻を殺した記憶はあるか?自分にはある。僕はそこで神様となって、気まぐれな天災を与えていた。興奮していたと思う。だって、神様なのだ。そんな僕も今ではムーミンも、スヌーピーも、ミッフィーも嗜むことができる。大人の証として。

不思議ちゃんの心の内では、次々と「?」が浮かんでは消えていく。それらは宙に浮かぶシャボン玉を思わせるし、青白い惑星のようにも見える。気まぐれな「?」に振り回される哀れな珍獣は、次第に膨れ上がるそれらに押し潰されまいと口から疑問符を吐き出し続ける。つまりはてなブログを書き続けるしかないのだ。

そんな心の叫びを黙殺していいものか。それは惑星が破裂した音なのだ。