近場を散歩したときに見つけたもの達を紹介したい。調布市深大寺~佐須周辺の散歩である。
よく歩くルートの裏道で見つけた果樹園。多摩地区とはいえ都内に住んでいる自分からすると、果樹園という言葉には少し旅行気分が漂っている。園内の葡萄の蔦が勢い余ってフェンスにまで伸びてる!と興奮したが、看板を見るとブルーベリー狩りしかやっていない。果樹園らしさを出すための外装。酸っぱい葡萄。
闊歩していた。飼い猫にしかできない、人間らしい自意識を感じる歩き方だった。
柏葉紫陽花の花びらは古びるにつれて薄紅色〜えんじ色に変わるようだ。爛れたような不健康な色に変化する紫陽花もあるけど、これはなかなかいい歳の取り方をする。
深大寺自然広場。人のいない公園は広い。
ワスレグサ(カンゾウ)は派手な花弁からヨーロッパの花かと思ったが、万葉集にも歌われる東アジアの花だった。マクロに強いカメラを買ったことで花を花として認識するようになった。それまでは視界に入っていてもただの色だった。花弁が折り紙に入れ替わっていても気づかなかったと思う。
このカメラ(富士フイルムX10)はレンズの先1cmまで寄って撮れるため、地面数センチの小さな世界を大きく映せる。
土中の有機物の存在が垣間見える。
この奥にある都立農業高校の神代農場は、湧水豊富な低湿地帯となっており、後ほど出てくる古社・青渭神社にも関係している。
取り残された公園予定地が好き。
オオアレチノギクかな。最近は雑草の名前を知りたい。
シダ類は左右対称に葉がつく。真面目なんだと思う。
深大寺の近くの住宅街で広島風お好み焼き屋を見つけた。有名な深大寺蕎麦は日が暮れる前にどこも店じまいをしてしまい、一番高い水神苑しかやっていない。このあたりで夜やってる飲食店というだけで貴重な存在だ。
青渭神社の看板は良い感じの見えなさ。
見慣れない漢字は、古代ロマンを感じる神社の特徴のひとつ。
深大寺町の鎮守・青渭神社は延喜式内社の論社の一つで、青渭大神という蛇ともいわれる地元の水神を祀っている。1969年に書かれた『深大寺及附近の歴史』には、昔は「あをなみさま」と呼ばれていたとある。チェーン系列でない神社というのは、神を思わせる地形があってこそ作られたもの。青渭神社も「往古は、社前に凡そ五町歩余の境内地があり、大池に滾々と湧き水あり、青波を湛えていた」とある。それが先ほど述べた都立農業高校内の神代農場のことなのだ。
青渭神社社殿。程近くにある絵堂の鎮守・池ノ上神社(祭神は池ノ上大神)とよく似たシチュエーションだ。
ここの売りは樹齢700年といわれる大ケヤキ。幹周りは5.5m、直径で大人の身長ぐらいはある。19世紀前半に書かれた『江戸名所図会』にも既に巨木として載っている。
公式HPには『近年では、ケヤキのウロが「ハート型に見える」、「縁結びにご利益あり」と多くの若い男女の参拝が後を絶たない。』とあるのだが、この巧みに自称を避ける言い回しが小憎い。
縄文遺跡も見つかっている。古代より連綿と人が住んでいる場所だ。
祭祀を行うための古びた階段がいい味を出している。
ヴィンテージ紫陽花の季節。紫陽花の花は結構しぶといので、見ごろが終わった後もその散り際を楽しめる。
青渭神社の裏手に回ると、深大寺小学校の裏を通って深大寺方面へ下る道がある。
単に落ちてるだけなのか、この木が電線に何らかの影響を及ぼしているのか。
隣の電柱にはまた別の標識がついていた。
鳥居的サムシング。
紫陽花の枯れ方にも何種類かある。色が退色するもの、変色するもの、一部が枯れるもの、しわしわに縮れていくもの…種類の差なのか、太陽の当たり方など環境の差なのか、今度本を借りて調べてみたい。
1年物かな。
単純なので満という文字をじっと見つめると心が満たされる気がする。
この風切り音を感じるベンチには誰も座らないようだ。ツノマタタケという名で、中国では精進料理に使われるらしい。雲丹に似た彩り感を出せそうだ。
ジワジワと肌の水分が減っている。
深大寺の道路を挟んで向かいの小道を上っていく。夕方、久しぶりに太陽が覗いた日だった。
空の雰囲気が少しだけターナーの風景画っぽい。(※追記:ドービニーだったかもしれません、東郷青児美術館で見た特別展のやつ)