東京国立博物館「縄文展」と東京都美術館「藤田嗣治展」を見に上野に行ってきました。
まずは昼を食べようと繁華街の方へ。一見でふらっと気になった店に入れればいいんだけど、いまいち勇気がないので有名な王城に。喫煙可の純喫茶は周りのお客さんの灰皿を見て席を決めることが大事。
薬膳キーマカレーはオーソドックスな味にひき肉が沢山入っていて、ハンバーグ1つ食べたんじゃないかって気分になりました。
ホットコーヒーを飲めるくらいには涼しい日でした。ミルクと砂糖の容器がかっこよかったので、普段いれないミルクをいれてしまった。その後上野公園へ。
これは縄文時代の石棒ではなく寛永寺を建てた天海僧正の毛髪塔。上野公園における寛永寺の遺構は意外と沢山あって、いつかまとめてみたい。
まずは縄文展へ。
縄文展、入り口で縄!文!JO!MON!って感じの映像が流れてて、盛り上げ方がエモい。そのせい(おかげ?)もあってか、展示前半の縄文土器はたしかに岡本太郎的なエネルギーというか、土着的な"念"のようなものを感じさせる。縄文が過剰にのたうちまわってて、その視覚的なインパクトはすごい。
けどそれも後半になるにつれふつうに洗練されてきて、特に青森県出土の大洞式土器は、精巧な上にデザインとしても“こっち側”感があってビックリした。漆を赤く塗ったものなんて、ぱっと見鎌倉彫に見える。日用品というより美術工芸品。「縄文的」って一面的なんだなと思った。昭和の人達は縄文vs弥生にいろいろなものを仮託しすぎたのだと思う。
それと面白いのは縄文時代って東北優位なところ。国宝もすべて東日本だし。
そして第2展示室には国宝の土偶たちが。写真だといまいちわからなかったけど、立ち姿が美しい。横から見ると「仮面の女神(逆三角形の顔のやつ)」の胸をはった姿勢だったり、「縄文の女神(スタイルいいやつ)」の背中からヒップにかけてのカーブだったり、「縄文のビーナス(安産体型のやつ)」の臀部の豊かさだったり、ある種の精緻な造形感覚のもとに作られているのがわかる。これに比べると埴輪って大量生産品っぽいな、と思った。
最後の展示室にはハート型土偶のバリエーションがいくつかあった。同じ系統なんだけど顔の丸いやつがあって、キャプションで「ハート型土偶と言えども丸型のものもつくられた」「丸顔だけどハート型土偶」って説明が研究者のセルフつっこみみたいで面白かった。
その後は軽く常設展を見ました。
ファインダーを覗いて写真を撮っていたら、後ろから見知らぬおばあさんに「これ私の故郷なんです」と声をかけられ、突然すぎて何も返せなかった。こういうのは少し後を引く。けどそのおばあさんの方はおそらく長い人生の中で見知らぬ人に日常的に声をかけ、それなりの確率で無視されてきているだろうから、たぶんすぐに忘れるのだろう。
それは足というにはあまりにも大きすぎた。大きく分厚く重くそして大雑把すぎた。
他者に懐柔するための完璧な角度を知ってる埴輪。
近代美術室へ。
近代美術室の「麗子微笑」の隣になぜか北斎のグレートウェーブが展示されてて、日本の絵を外国の人たちが押し合いへし合いパシャパシャ撮ってるという光景を初めて見た。どうも親子向けの夏休み企画だったらしい。
夏休み企画といえば洛中洛外図屏風の食についてスポットをあてていて、これは京都の今の国立博物館〜豊国神社のあたりにあった方広寺の大仏殿。
真ん中の人が持ってるのは餅だろうか。そういえば江戸時代には大仏餅という名物があって、今でもあの辺りに売ってる店があると聞いたことがある。
目黒の五百羅漢寺の羅漢像。お寺では写真NGなのでお得感がある。
庭園への扉があるラウンジの壁面のタイルは宝相華という唐草文様をあしらっていて、オリエンタルな雰囲気が素敵。
入り口すぐのとこにあるのに普段注目されることのない羊。ほんの数分であったが、人とは違う視点を見せることで自己顕示欲を満たそうとする私と、注目されることに飢えてるであろう羊との間に、ささやかなウィンウィンの関係ができていたはずである。
このようにして羊は私によって赤裸々に撮られることとなった。
お尻が汚れてるのがリアルですね。元々は李氏朝鮮の王陵を守る動物の1つで、まあ色々あってここにあるんだろう。
東洋館は柱がダイナミック。
残り1時間くらいしかなかったけど、東京都美術館の藤田嗣治展へ。時間がなくて晩年の作品にいくにつれ走馬灯みたいになってた。
このしりあがり寿のイラストのストラップ、迷ったけど買ってしまった。なんだかサブカルチャー。
最近60年代っぽい建築に反応してしまう。
お化け灯篭は、高さ6mくらいあって人知れず日本三大灯篭に数えられている。他の2つは南禅寺と熱田神宮。
でかいからお化けって雑な気がするが、確かに木陰に突然あってびっくりするので印象通りのネーミングだと思う。
植物ってたくましい…って感想を持ってしまいがちだけど、植物も人間と同じように育ちを選べないので、もっと栄養たっぷりな土の上に生えたかったと思ってるかもしれない。
このトーテムポールの猿でこの日記はお別れとしましょう。